Night Park●●●●●●●●
=======夜草の園

虹と雪のバラード。

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戦後の日本の国家的なイベントと言えば
東京オリンピックがあげられるでしょうけど、残念ながら
ボクはまだ赤ん坊で記憶にはない

個人的に印象深いのは、同じオリンピックでも、札幌冬期オリンピックだ 。
笠谷選手をはじめとするジャンプ陣=日の丸飛行隊、の事は
鮮明にとは言わないまでも、強く記憶に残っている。
・・・それから大阪万国博覧会だ。
その後、沖縄海洋博、つくば科学博、横浜博、と記憶に残る博覧会もあるけど、
大阪万博は、規模から言ってもまったく別物だったようです。
そして長野オリンピック。この記憶は新しい。

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札幌オリンピックの印象が強いのは、何故だろうか。
直滑降。 回転。大回転。ジャンプ。
フィギュア。スピード。ホッケー。 ボブスレー。・・・。
小学校の低学年だが、そんな競技にあこがれた。将来やりたい、という意味ではない。
単純にかっこいいと感じていたのだ。

実はそれには、ある仕掛けがあった
ちょうどその頃、ペプシコーラだったか・・・・
あるいは、ファンタも含むコカ・コーラだったか・・・ 。
瓶で買うとキャップの裏にオリンピック競技のイラストが描いてあったのだ。
裏のビニール性の蓋をめくると、その絵がでてくる。
それを集めるのが流行ったのだ。
(余談のまた余談だけど、それをまだ持ってる人はるのだろうか?)

それでボクら子供は、当然何本もコーラなど買えるわけがないので、
自動販売機の下や、栓抜きの箱の中や、ごみカゴをあさって、キャップ集めに夢中になったものだ。

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笠谷選手が金メダルだというのは、当時も誇らしかった。
ボクらの感覚では、キックの沢村みたいなヒーローだった。
それに、日本人はジャンプ競技の他、スキー、スケートの競技は強いものだと思っていた。
しかし札幌オリンピックでさえ、金メダルは一つしか取れなかったようだ。
(ジャンプの金・銀・銅、3つが、獲得メダルのすべてだったそうです。)

長野まで含む3大会、アルベールビル、リレハンメル大会は注目していたように思う。
この2大会は間が2年しかなかった事が感心を持続させる要因になった。
それからスピードスケートの橋本聖子や、フィギュアの伊藤みどり、
複合で金メダルを取った荻原など有名選手がいた事によるのが大きい。
リレハンメル…、ジャンプ団体での、原田の失敗ジャンプも忘れられない。

しかし、その前のカルガリー、その前のサラエボもしっかりTVでの様子を見ていたなあ。
なんと、サラエボの12年前が札幌大会だそうだ。
インスブルック大会と、レーク・プラシット大会。
何故この2大会の記憶がないのか?逆にそれも不思議ではある(笑)。


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参考までに札幌からの開催地を調べたので記しておきましょう。
1972札幌(日本)
1976 インスブルック(オーストリア)
1980 レーク・プラシット(アメリカ)
1984 サラエボ(ユーゴスラビア)
1988 カルガリー(カナダ)
1992 アルベールビル(フランス)
1994 リレハンメル(ノルウェー)
1998 長野(日本)
2002 ソルトレーク・シティ(アメリカ)
2006 トリノ(イタリア)

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ボクはスキーは片手で数えられる程しか経験はないので、
ウィンター・スポーツが特別、好きだという事はありません。
しかし、夏の陸上にくらべてボクの中で好感度が高いのである。
なにしろスピード感が違う。
陸上 の選手がどんなに最速で走るといっても、スピードスケートに適うものではない。
高飛び、幅跳びの世界記録 でも、スキージャンプの比ではない。
ボブスレーもリュージュもスケルトンも大変なスピード感だ!

直滑降の更に上をいく最速を競うスキー種目があった。
(今回は見なかったので、名前を思い出せない。)
それはスキーを履いてはいるが、滑り出したらあと、ゴールまで微塵も身体を揺らせない。
スーツも空気抵抗を考えて、人体のシルエットを隠し人型を逸脱している。
スポーツといえば、肉体美もその魅力の一つのはずだが、
その滑降の競技は人間の身体を被い隠す事で成り立っているのだ。
これは案外、ボクらの固定観念をくつがえすものではないか。
それでいつごろからか、冬のオリンピック競技を特別視するようになっていた。
競技スーツもカラフルで、目に楽しい。
夏の競技はそれから考えると、鈍臭く思えてくる。
・・・はい。偏見ですね(笑)。

冬期オリンピックに親しみを感じるのは、
それに会わせたテーマ曲にも要因があるのでしょう。
札幌オリンピックの時には。トワエモアの歌う『虹と雪のバラード』があった。
歌謡曲としてヒットもしたが、来日していたオリンピックの選手たちも
気に入って、日本語で練習して覚えて帰ったそうだ。
長野では『WAになって踊ろう』があった。
どちらも好きだが、『虹と雪のバラードは』懐かしさもあって、自作のマンガのタイトルにした。
そのマンガの話はまた別の機会に 。

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戻る。

夜◆END


雨音は環境音楽。

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あ〜あ。またしても更新期間が空いてしまった。
もっと気楽にエッセイのように書いていきたいんだ。
ふと、「あんな事書こう」と
テーマが浮かんだりするんだけど、
いざ書こうとすると頭が真っ白になって何も浮かばなくなってしまう。
ひとつにはBBSの方で、語りすぎてるね。



今夜は雨だ。
これはボクにとっては好条件だ。
雨、好きなんだよね。
台風も好き。
あ、地震は嫌いだな・・・(笑)。いちいちビックリしてしまう。
雨はね、
雨音聞いてると、気持ちが落ち着くんだよね。
特にBGMもいらないくらい。
と、言いながら実はBGMの話をしようかと考えてる。
その前に、雨の日の思い出話をしよう。


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我が家が借家だった頃。
隣の借家にも同じ歳の男の子がいて、
四国から引っ越してきた勉強のできる子だった。
「◯◯くん、遊ぼ」
と誘っても、代わりに妹が出て来て「今、勉強だから遊べない」との返事。
母親が付きっきりで勉強しているんだ。
・・・たいがいそうだった。よく断られたよ。

しかしボクも、つき合いの悪い子だったな。
わざわざ遠くから学校の友だちが来ても、断って帰らせたなー。
ボクの場合勉強が理由じゃなくて、
「今日は外で遊ばないつもりでいたから」が理由(笑)。
たいがいマンガを描いて過ごしてたんだね。

ある雨の日、
その◯◯くんと学校から帰ってきたら、彼の家に鍵がかかっていた。
もちろん家に入れない。
そんな時に「ウチへおいでよ」と、
言える程気のきいた子どもではなかったんだ、ボクは。
その当時、友だちを家に呼ぶんでも、親の承諾がいるもんだったし。
それで母親にその事告げると、
ウチに呼んであげなさいと言う。

言われるとおり、ボクはその子を呼びにいった。
雨はどしゃぶりだった。
その子は縁側にいて、正座して前屈みに座っていた。
(縁側はもちろんひさしによって雨は防げている。)
正座して前屈みになって、教科書とノートを開いていた。
宿題が出ていたんだって・・・。
その光景を見て、
その時ボクは何を感じたか実は覚えていない。
今、思い返すと、その健気な姿に心を打たれるけど・・・.

ウチに呼んで、暖かいミルクコーヒーと
菓子パンを食べた。
「良かったね」
と、この時は思っていたと思う。
もちろん彼は宿題は止めて、笑顔でボクとおやつを食べている。
あの雨の日の時間はなぜか、しあわせなひとときだったなあ。

その彼はまた、間もなく四国へ引っ越していった。

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さてさて、
思い出話の方が長くなってしまったのではないか?
今回はBGMの話をする予定だったのに・・・。

実はついさっきまで
BGMに『ルパン三世71ME TRACKS』を聴いていた。
1971年のルパンと言えば、
音楽は山下毅雄だ。

音楽としずけさは対極にあるように普通は思えるのに、
しずけさを感じる音楽がある。
それが通称「旧ルパン」と言われるTV音楽にも言えるのだ。
山下毅雄のCDは2枚ほど持っているけど。
世の中にはヤマタケ・マニアともいう人がいて、
ボクが語っても太刀打ちできないから詳しく語らないようにする。
ちなみにもう一枚は『プレイガール』。


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一人暮らしをすると、
まずテレビを買うという。
それはしずけさが寂しいからだ。
テレビは賑やかにしたいから、スイッチを入れるのだろう。
ラジオは逆にしずけさを演出したくて、つける事もボクは多い。
だけど騒がしいラジオ番組ばかりだね。FMも。
だからもともと、ヒット・チャートというものに関心がないね。
洋楽も邦楽も。

ウチにあるのは
「ロックやポップスのヒット曲」とは関係ないものばかり。
自分の気持ちに合ったものを聴きたいから・・・。
自分のBGMを捜している。

そういえば、日本映画って
ボクの好きな作品に限ってかもしれないけど、
雨ふりのシーンの印象的なのがあるね。
そしてピアノが出て来る。
ああ。そんな映画の話もしたかったな。
・・・・。

ま、良いでしょう。
この続きができる時がくれば、また
話してみるかな。

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夜◆END


第2夜の前に・・・。

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2夜『戦争の反対なのだ』は、
もう何週間も前には書きあがっていました。
しかしアップする事をためらってたのは、
場合によっては深刻にならざるをえないテーマを
このように、子どもじみた形で語り
公開してもいいのか?
との思いがあったのです。

ボクとしては
この<夜草の園>は、
日記のように、日々思う事を
脈絡なく綴っていこうという主旨ではじめました。
けっして社会的な話題で討論していこうとか、
哲学していこうとかいう場ではないのです。

ですのでここで
2夜『戦争の反対なのだ』を公開し、
このコーナーを再開する事にしました。

出発点はとても素朴なのだと思って
読んでくださいね。
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戦争の反対なのだ。

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「平和の反対はなんだと思いますか?
・・・それは戦争ですよ。」
そうやって学校で教わった、小学校6年のその瞬間を覚えている。
ボクは違和感を覚えたものだ。
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子どもだったボクにとって、
<平和>とは宇宙人や怪獣によって町が破壊されない状態の事だったからである。
今でこそ、「宇宙人や怪獣」が
「民族問題や自然災害」の比喩になる事を承知しているが、
子どものボクにはわからなかった。
怪獣ドラマといえば、「善」対「悪」のお話としか思っていない。
しかし反対に<戦争>を
「善」対「悪」のお話とは、思っていなかったのだ。

<平和>とは、
悪の存在が滅びた時の事、あるいは事件の起きる前の事。
そんなように思っていたと思う。
だから強盗や殺人事件がない町も平和な町といえる。
しかし<戦争>とは、
ボクにとっては戦車や戦艦の、つまり軍事兵器の衝突で、
「勝負の世界」と思っていたのだった。
つまり戦争が「善」対「悪」の構造とは思っていないのはそこなのだ。


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似たものに「チャンバラ」がある。
それは勝負の世界であって、かつてそういう時代があったのだが、今はもうない。
戦争も昔の話であって、国と国が勝負をする時代が昔あった、
そんなふうにしか思っていない。
だから「戦争に善悪がある」とも思っていなかったのだ。
・・・そう小学6年生のボクがね。


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教室で感じた違和感はもっと漠然とした物だった。
戦争の反対は、「戦争を終えた状態」。
つまり人間の意思で左右する戦争するかしないか?の事であって、
平和の反対は「戦争」以外にも、「地震」「事故、事件」など幾種類でもあげられる。
つまり意思とは関係なく、「ボ〜っと」してたって「平和」であり、
「反対の言葉は戦争だけではない」
という感情が先にあったのだ。

しかし。違和感を感じつつも、
「戦争の反対は平和」
これは国や学者や先生が決めた事。
そうやって覚えないといけないんだな。
そうやって半ば強引に納得しようとしたのだった。
学校といのは逆らう場所だとは思ってなかったんだよボクは・・・。
漢字の書き順だって、無条件に覚えたでしょう?
書き順が違っていても、漢字は書けるのにさ。

それでそんなわけで、ボクは
「平和の反対は戦争だ」と思い込み、30歳半ばを過ぎても
それを常識だと思っていた。
あるいは辞書的意味ではそうなるのだと思っていた。


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現在まさかと思う事が実際に起きる世の中になっている。
子どもの頃より戦争を、地続きの事と思えるようになっている。
恐らく戦後生まれの人の共通の感覚だと思うが、今でもみんな
「平和の反対が戦争」だと思っているのだろうか?
ボクはやっぱり違和感を覚えるなー。
戦争状態になければ平和だというのでしょうか・・・?
手に武器を持たなくたって、危機的状況は常にそこら中にある。
餓えや貧困が、戦争だけが原因でもないだろうし。
伝染病や公害病は社会の繁栄と平和がもたらす物かもしれないよね。
さて日本は平和ですかねー。
 人類史は戦争の歴史だった。
それなら人類が平和だったのはいつだったのだろうか?
戦争と平和
それは「現実と理想」という意味で反対なのでしょうか???

「戦争の反対は平和」
ずいぶんと人工的な思想のような気がするなあ。
子どもの直感の方がまだ正しいように思えてくるじゃないか。
ボクは小6のあの時
とても人工的な教えを詰め込みされたような気がしてならないんだ。

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2夜◆END


真夜中の使者/14歳

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自分がホラー好きだと意識した時を覚えている。
(とは言っても「ホラー」という単語を知るのは、それから5年程後の事。)

そのきっかけは深夜放送だった。
深夜3:00から始まる『自切俳人のオールナイトニッポン』がそれ。
「お待ちになりましたか…自切…俳人です…」
という低音のフレーズで毎回始まるそのラジオ放送は
ホラー色豊かな演出で、深夜に聴くから充分無気味であった。
とはいっても基本的にはフォークシンガー(現在精神科医の北山修氏)
のDJだから選曲も話題もそれなりの物だった。



ボクが気に入っていたのはその中の、
『真夜中の大発見』『真夜中の大辞典』『悪魔のたわごと』という3つのコーナーだった。
『真夜中の大発見』は、今でいう「都市伝説」や「未確認生物など」の情報を
リスナーが投稿するものであった。
タイミングがあえば「口さけ女」や「人面犬」なども目撃談として寄せられていたかもしれない。
(ちょっと前のTV番組『投稿特報王国』や今放送中の『USO』にも通じる所がある。)

タイミングがぴったし合っていたのは、
ニュージーランド沖で日本の漁業船が発見した未確認生物のニュースだった。
(マスコミ一般はそれを
ニューネッシーと、呼んでいたが
自切俳人のこの番組ではそれを
ゆめかし〜らと名付けていた。)
とは言っても、それ事体が話題になるのではなく、あくまで
リスナーの目撃談が寄せられるコーナーだったのだ。

BGMには映画音楽などが使われていたのかな?
『ロッキー』のテーマも使われていたけど、かなり雰囲気を盛り上げていたのは確か。
はじめのうちは、いかにもミステリアスな投稿が主だったが、
しだいに冗談の度合いが増え、・・・たとえば、
「後ろから肩をポンと叩く者がいて、振り返ると、それはマラソンをしている犬だった」
とか
「梅干しを嘗めているウナギを見た」
とか
「自分の足のすね毛が手をつないでいた」
とかムチャクチャになって、お笑いコーナーへと変貌していった。
それはある意味残念ではあった。
・・・しかし荒唐無稽ではあっても
深夜に聴くと無気味でぞくぞくする物があったんだ。



<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆>

それ以外のコーナーとして。
『真夜中の大辞典』は、五十音順に事柄に解説をつけて集大成にする内容。
投稿制だったか、後に本になったのか、もう忘れてしまいました。
『悪魔のたわごと』は、自切俳人の哲学を語るコーナーで、とても真面目だった。
やはり当時の社会派フォークシンガーらしいスタイルだった。
ボクはこのコーナーに影響を受けて、物を考え自分の意見を持つようになったと自覚している。
・・・しかしこれは別のお話。

<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆>




さて、そんなラジオ番組としては他に例を見ない
自切俳人のオールナイトニッポン。
そのホラー色と、ユーモア、そして哲学と?
ボクは大変に影響を受け、特にホラーがとてもオシャレにも感じられて
いろんな場面でそれを自分なりに消化しようと思ったのだった。
それはマンガであったり。
自分で怪奇な感じの演出のDJをしてテープに吹き込んだりもした。

ホラーという名称はその当時は知らなかったけれども、
深夜に体験するこの恐怖感はボクを魅了し
自分がそれをとても好んでいた事を自覚していたのをはっきりと覚えている。
14才だった。

<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆>

戻る。

1夜◆END

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