Night Park●●●●●●●●
=======夜草の園

ドリームランドの事2。

<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆>

ドリームランドの事「2夜」です。
今回は、ひとつ「ドリームランド・マニア」になったつもりでお話ししてみましょう。
・・・というのも「閉園」がいよいよ現実となった時に
「もっと通って遊べば良かったな」という思いと、
せっかくなんだから「自称ドリームランド・マニア」を名乗っても
面白かったかなという思いがあったからです。
すぐそばに、これだけ大規模 でマニアックなアイテムがあったのだから。

では早速今はなき“テーマ・パーク”
横浜ドリームランド をご案内してみましょう〜。

【WELCOME DREAMLAND】
マスコット、
ドリちゃん・ランちゃんが迎えてくれる。
 【
1964-2002】の表示 。


そう。ドリームランドはテーマ・パークだったのです!
WELCOME!!!…ドリームランドへ。


<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆> >

ドリームランドのマスコットキャラクターをまずはご紹介します。
ドリちゃんと、ランちゃんです。
(通の人
はドリームランドそのものを「ドリラン」というのです。)
この二人、兄妹なのですが、初期には兄のドリちゃんしかいませんでした。
ご覧の通りこのキャラクターはイギリスの衛兵です。


【パンフレット】
上にちっちゃなランちゃん

【レストラン】


【ドリ・ラン】
お兄ちゃんはイラストとイメージが違うぞ

 

 

【御神体】
童里夢神社といったかな? 鳥居もあった。



【初代キャラクター】
ドリちゃん、ランちゃん以前にいたらしい。き、気になる
・・・。

実はボクが小学生の時には入り口には生身の衛兵が二人、無言で 常駐してたのです。
間を置いて歩き出し、ステップを踏んで90度に向き直っては歩き、
ライフルを持ち直し、また元の立ち位置へ戻る…というパフォーマンスをしていました。
これを一日中やっていたのです。

【衛兵】
無口な兵隊さん
【衛兵】
名物のパレード。練習風景もよく見たものです

この独特の風貌は目が隠れる形になるため、表情はいっさいわかりませんでした。
小学校の帰りにボクらはよく兵隊さんの顔を下から覗き込んでいたものです。

・・・ドリームランド。それは我が家のすぐ裏にある外国なのでした。

<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆> >


<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆> >

さて、ドリームランドがどうして「テーマ・パーク」なのか?
が、おわかりになりつつあるのではないでしょうか?
・・・・・?
ドリームランドは実は、アメリカの本家ディズニー・ランドを模して作ってあったのです。
東京ディズニー・ランド(
TDL)ができたのは1983年の事でした。
ボクが初めて行ったのは開園してから4年後の事でしたが、その頃流行りつつあった、
絶叫マシン があるわけでなく、
そこにはあったの
徹底的に統一されたイメージの具現化でした。
そして日本ではその後、
遊園地に代わってテーマパークが多く作られていくようになるになるのです。

ドリームランドとはまさしく夢の国。日本ではない身近な異国として
作られたのはまちがいないでしょう。・・・つまりテーマパーク
でした
ドリームランドのオープンは1963年の事でした。
そのおよそ20年後 に作られた
ディズニー・ランド
には
『ジャングル・クルーズ』と、『カリブの海賊』 という人気アトラクションがあるのですが
同じ物がドリームランドにはあるのです!それも30年以上前から!!

それらは『ジャングル探検船』『サスペンス・ゾーン大海賊』 です。

【ジャングル探検船】
【サスペンスゾーン大海賊】

TDLで『ジャングル・クルーズ』と『カリブの海賊』に乗ってみて感じたのは
アイデアや仕掛けは30年前のドリームランドと何も変ってないんだなあって事。
段取りからネタまですべて同じ。
・・・それが何でなのか?ずっとわかりませんでした。

両者が同じアトラクションを持っていたのは、
つまり元になったテーマ・パークが同じアメリカのディズニーランドだったからだ
と知ったのは、ドリームランドの閉園前後でした。

ただし、直系はTDLですが、ドリームは模倣だったのでしょう。
TDLの方が20年分最新型で、リアルで、美しいのは
・・・ 否定できません。


<
◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆>

ジャングル探検船(『ジャングルクルーズ』も)は
密林地帯に流れる河を、船に乗ってツアーをするという内容です。
あくまでそれは現代の未開地帯か、野生動物の生息地を探検する物です。
ですが、ボクが小さい頃に乗ったそれは冒険の国という名前で、
時間をも旅する設定の、タイムマシーンでもありました。


『冒険の国』
・・・
船は徐々に氷河期の世界へと進み、マンモスと遭遇し、
やがて太古の恐竜が住むロストワールドへと向かうのです。
・・・そして、首長竜が水中から・・・・!!!!


『あ!恐竜だ』

では<夜草の園>も、しばし時間旅行と洒落込みましょう〜・・・



【入場口/凱旋門風】
両端には赤いチケット売り場。右手には赤いボックスが見える。
この中に衛兵がいて、時間が来ると歩き出す 。


おっと!これはおよそ30年前のドリームランド
の入り口であります。
とても広々感じるのは何故でしょうか?
中央にいるのは、この日遊びに来た家族のようです(^^)。

↓下のは「皇室アルバム」でしょうか?


きれいな庭園ですね。
外国ではないんですよ。あくまでウチの近所、裏庭です。
やっぱり半ズボンの少年は皇室の方のようです。
この日はご一家で貸しきりだったのでしょうか?
・・・
祖父、祖母、母、妹と。



後ろに見えるような洋館が、園内全体を取り囲んでいました。
その中は、おみやげを売っていたり、レストランが入っていました。
また銅像が何体かありましたね。(日本の軍人さんだったような)
もうこの景色はありません。


左に見えるのは園の入り口方面。洋風の城壁のようです。
これはこのまま現在も残っています。


丘の向こうに洋館が見えます。
30年ぶりにひっぱり出してきた写真ですが、
現在のどの位置にあたるのか?地元の人間のボクでもわかりません。
また、このようにピクニックでもするかのような光景は
近年のドリームランドにはあり得ませんでした。

・・・何故なら間もなく規模が縮小され、半分程になり、
団地/ドリームハイツが建てられたのです。
その縮小された面積に後年、新型アトラクションが 続々と設置され
乗り物が多いわりにはゴミゴミとした作りに変貌していったのです。


団地が建つ前の様子。
『大観覧車/ワンダーホイールから
撮影したのだと思われます。

手前は『プール/レインボープール
(冬はスケートリンク /マンモスリンク
左にジャンボ滑り台があります。

中央の建物 は券売所、更衣室。レストラン
やおみやげ屋も
あったでしょう。
しかし、後年はディスカウント・ショップになっていました。
敷地縮小のため、入り口が中央まで後退し、この建物の部分まで入場券なしで行き来できるようになっていたのです。

今、この角度で撮影すれば、
この建物と滑り台のすぐ向こうに巨大な団地が、取り囲むように建っています。

手前のスペースが当時どのような
コンセプトであったのか?
今となってはわかりません。
歩くだけで疲れそうですね。
・・・とにかく近年のドリームでは
想像もつかないスペースなのです。



園内 には馬車が・・・。
そうめずらしくもないでしょうが、くり返しますけど、
狭くて狭くて後年には見られなかった光景なのです。

広いですね。やはりこの御一家の貸しきりだったのでしょう・・・?


ドリームランドがTV撮影に使われていたのは
知る人ぞ知る所なのですが、この馬車もドラマのメインで登場していました。
それが『人造人間キカイダー』 での事でした。
「ロボットのピエロが馬車の騎手で、遊園地の人気者」
という設定。(ダークに破壊される(^^;)

写真の奥、中央にぼんやりとエンパイアホテル。左の建物は後にデスカウントショップになる。



手前はアトラクションの定番、オクトパス
一番奥が『大観覧車/ワンダーホイール。その中間に見えるのは、当時ボクらが
「空中ブランコ」と呼んでいた、スイジング・スイング

今なら観覧車の向こうに、大きく団地が見える。


 

 


ガリバー
開園当初からシンボルで、37年間
閉園までありました。


▲両親と。手前の女の子の
小さい方が妹。もう一人の女の子は
隣に住んでいた子で、
右の写真はその兄(立っている方)。

 

▲ゴーカートの方がボク。
左の写真の女の子の兄の星★君
は、借家に住んでいた時の
同じ歳の友達。
<夜草の園> 3夜
『雨音は環境音楽』
にて
登場してもらいました。
間もなく故郷の四国へ引っ越して
いきました。
勉強の出来る子でしたねえ。


近所には、お父さんがドリームランドで仕事をしていて、
フリーパスの使える子が友達にいました。この星★君もそうでした。
そのおかげで、無料で入園した事が何回かあります。
(パスも無しに、裏口から侵入した事も!)

写真を撮った時、ガリバーはおとぎの国のスペースにいたのだと思います。
かつてはその後ろを外周列車 が走っていたようです。
その後ガリバーは場所を転々としました。


外周列車は、園の周りをぐるっと回っていて、これには乗った覚えがあります。
後に展望台となった、城壁の上にも線路があったのです。
スケールから言ったらけっこう本格的な機関車のように思えました。

乗り物といえば、その他にロープウェイがあったのです。

『ロープウェイ』

たしかに古い記憶の中には
ロープウェイ
があり、
それを見上げる自分がいるの
です。

ただ それは記憶違いだったと思い直し、長年そのままでいました。

・・・そう思わせるほど
ドリームランドは縮小し、
変貌していったのですね。

逆にかつては
ロープウェイ
で移動するほど大きかったという事でも
あるわけです。


またドリームランドにはモノレール(大船〜ドリーム)が通ってました。
残念ながら開通1年後にはその営業を停止したため、
ボクは運転している所を見た事はありません。

今でも廃駅とレールだけはそのまま残っていて、
30年以上放置されて現在に至っています。


それからヘリコプターも名物だったと思います。
あまりにも高額だったため、普通の家庭の子が乗れるものではなかったと思います。

hヘリコプター
3機のヘリコプターが見えますね。

おそらく我が家が ここに
住むようになって3〜4年めです。

団地/ドリームハイツが
建ちはじめています。
この分の敷地が縮小されたのです。
あの方面まで遊園地だったのです。


左下
【ドリームラマ】
ドーム状の 疑似体感映像アトラクション。

このドリームラマというのは、
360゜パノラマ映像を見せてくれるアトラクションでした。

固定された椅子に腰掛け、ワンダーな映像を体験できたのです。
もちろんジェットコースターからの視点の映像もあり、今でもその疑似体験手法は
なにやかやで使われてますよね。
むしろ今は映像アトラクションの方が全盛でしょう。
しかしドリームラマは何故か早いうちに無くなってしまいました。
・・・いわば30年早かったバーチャルシステムでしたね。


【月世界探検館】
このドームが後に『ドリームラマ』となる。


ユニークなアトラクションはいつの間にか姿を消しました。
規模の縮小もその理由でしょうし、老朽化も避けられない理由となるでしょう。

<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆>

またドリームランドの思い出というと、
『ウルトラマン・ショー』 や『木馬座ショー』を見たという事でしょうか。
『木馬座ショー』は、ケロヨンはもちろん、人気で張り合った森の妖精ベーパックもいて、
もちろんもぐらのモグタン などケロヨンの人気レギュラーも総登場してくれました。
森 あき子というおねえさんがケロヨンの世界のナビゲーター役でいましたが、
彼女も来ていて、どうもベーパックの声はこの森 あき子さんがライブで
あてているように思われました。(勘違いでなければ)

個人的に最もインパクトのあったのは、カバ でしたね。
ひもによる操作で口が開閉するんです。
近寄ったはいいけど!振り向かれて、・・・恐くて逃げてしまいました(^o^;。

あとはロケ地として様々TV撮影が行われ、
『人造人間キカイダー』 の撮影時にはサイドマシンが駐車していた
という話しも聞こえてきました。

あとは、小学校の「歩き遠足」で ドリムーランドに来たのも思い出ですね。


【遠足】
右端がボク。後ろは牧場のよう。かつては動物も数種いた。

<◆◆・・・・  ∽  ・・◆◆>●<◆◆・・  ∽  ・・・・◆◆>

つぎへ。

次のページへ・・・▲▲▲・・・お進みください。
SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO